飯沼弘経寺(墓所)


 弘経寺十世の了学上人は、家康の帰依を受けた同寺の中興上人で、千姫に「天樹院」の号を与えた仏道修行の師でもあります。
 関東十八檀林のひとつとして寛永六年に復興されたとき、千姫から自筆と伝えられる寺号を記した扁額が贈られています。
 千姫は、落飾したときより弘経寺を菩提寺と定めており、その言葉に従い廟所が築かれました。
 また、同寺には作者・年代は不明ですが、構図や葵紋の描き方から江戸時代初期のものと考えられる「千姫姿絵」が残されています。(「千姫とは?」の絵です)




                                             祭り当日の弘経寺本堂




 かつては墓所には遺髪が納められているとされていましたが、近年の改修調査により、火葬された遺骨の一部が納められている事が判明しました。(東京小石川の伝通院より分骨されたんですね。)









  杉木立の中にひっそりと佇む千姫の御廟


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