千姫異聞


 この話は、「吉田通れば二階から招く、しかも鹿の子の振袖で」の千姫御殿からはじまります。
 三代将軍家光の姉千姫は、夫本多忠刻が寛永3年5月に家督もせずに播州姫路の城中で死んでからまだ30才で2度目の未亡人となりました。将軍の家光はひどく姉の不幸に同情して、はじめ竹橋御門の屋敷に住まわせて、静かな日を送らせようとしましたが、少しどうも豊満妖艶すぎる千姫は、近くに春日ノ局の屋敷などがあって出入りとも幾分窮屈がるので、五番町に邸を得て、これに下屋敷を建てて移り住ませることとなりました。
 ここは慶長の頃に、五番衆吉田大膳亮という者が住んでいたところで、俗に「吉田屋敷」といわれましたが、五番衆と共に赤坂に引移ってからは邸を取り壊して「更屋敷」となっていたので、ここに千姫こと天樹院殿の御殿を建てたのです。
 この御殿で千姫は荒淫の限りを尽くします。通りがかりの若侍から遂には町人小者の類にも及び、その評判は何処からともなく八百八町に知れ渡って、老人子供の外御殿門前小路町を往来する男子はなくなりました。なんぼなんでも将軍家御姉君、そんな馬鹿なことは出来るものでもなく、それがまた知れずにいる訳もない。(この「吉田通れば」は今の豊橋、昔の三州吉田の宿で遊女が客を呼んだことを唄ったもので、千姫にしかる事実なしともいいますが・・・)
 こうなって男が誰も通らなくなってはいかに千姫でも仕方なく、同御殿の表役花井壱岐という侍に手をつけて、それからはこの者一人を寵愛していましたが、その花井がまた千姫お側の侍女竹尾というのと人目を忍ぶ仲となります。
 千姫は早くもこれに気づき先ず竹尾を捕らえて「この顔で壱岐をたぶらかしおったか」と焼火箸で顔を無茶苦茶にした上に、今度は花井を薙刀で追いかけて斬り殺し御殿の乾の方にある底知れぬ古井戸に投げ込み、ほどなく竹尾もこの井戸へ引き出されて斬殺されてしまいました。
 先ず第一に、直ぐにこの恋し合った二人の亡霊が井戸の上へ現れて「恨めしや・・・」をやったのです。青い火が燃えてそれが千姫の居間の方へふわりふわりとやって来ます。井戸の周囲は深い竹薮で亡霊には持って来いでした。
 この二人の亡霊になやまされてさずがの千姫も「ゆるしてたも」とかぶとをぬぎ、ふっつりと色道を解脱して寛文6年70才まで寿命を保って死にましたが、墓は小石川伝通院にあります。
 その御殿は後に取り壊して、邸の材木は下総弘経寺に給わり、千姫の艶っぽい居間は方丈の室に造りかえられたが、花井を殺した時に飛んだ血が、雨が降るときっと天井一面ににじみ出るのです。拭いても拭いても出る上に真夜中になってくすくすと声を忍んで笑うことがあったり、時には泣くことがあったりするので、遂に明治三十何年かに取り壊してしまったといいます。

                                   (旺文社文庫 子母沢寛著「幕末奇談」より引用)

※この御殿跡は、後にお菊の幽霊で有名な「番町皿屋敷」の舞台になります。昔の人は面白く話をつくるものですネ!


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