多賀谷氏は、下総結城氏の重臣でしたが、結城家から
自立を図り、15世紀後半から16世紀にかけて現在の下妻
市を中心に支配領地を拡大し、最盛時には常陸・下総に
20万石相当の領地を持つようになりました。
その後、佐竹義重と結び、また豊臣秀吉ともよしみにな
るなどして領土の温存を図りましたが、朝鮮出兵の際出陣
しなかったため秀吉の不興を買い、1595年には所領を6万
石まで減らされてしまいました。
また関ヶ原の戦いでは、石田三成や佐竹義宣に近く、病
と称して下妻を出ませんでした。そして、徳川家康を現在の
小山市で討たんとして露見し、のちに領地没収となりました。
こうして、約150年にわたった多賀谷時代は終わりを告げ
ました。
(多賀谷時代まつりパンフレットより引用)